古謝そばの歴史
History

飾らない、 変わらない、 だからどこか懐かしい…
昔ながらの伝統を大切に、 守り続けてきた 味わい深い宮古そば
昭和7年の創業から歴史と伝統を大切に守り続けてきた古謝そばの味。
そこには、沢山の経験と共に積み重ねた「変わらないための努力と工夫の歴史」による深い味わいと、古謝そば屋を支える多くの人々の絶え間ない力が宿ります。
1932 年 (昭和 7 年) |
古謝将功が宮古島平良市で |
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1943 年 (昭和 18 年) |
台湾に疎開したため閉店 |
1946 年 (昭和 21 年) |
宮古島に帰って食堂を再開 |
1978 年 (昭和 53 年) |
製麺と食堂が分業体制になる |
2004 年 (平成 16 年) |
古謝そば屋新店 開店 |

歴史が紡ぎ出す深い味わい
昔はかんすいではなく木灰の上澄み液、塩、小麦粉を混合して手打ちの麺をつくっていました。それから長い年月が流れ、古謝製麺所の製麺のプロセスも少しずつ少しずつ変化してきました。現在は、手打ちのころの面影を残しながらも衛生管理の整った工場で、そばの生産を行っております。
古謝製麺所はこれからも伝統の味を大切にしながら、安全でおいしいそばの提供を心がけていきたいと思っております。

古謝そば屋の昔話
昭和7年、古謝将功が宮古島の平良市で食堂をはじめる。
メニューはもちろん宮古そばである。
しかし第2次世界大戦によって宮古島も激戦地となり、一家は台湾に疎開せざるをえなくなる。
昭和21年、一家が宮古島に戻ってくると、そばの機械は軍を介して売り払われており、家も焼失していた。
そうした中で、そば屋をするどころではなく毎日を過ごしていたが、1年が過ぎた頃、人手に渡っていたそばの機械を買い取り譲ってくれた友人がいたお陰でそば屋を再開する事が出来るようになった。宮古そばの大事な原料のひとつである小麦粉は、できあがったそば麺を、各家庭に配給される小麦粉と交換することで、仕入れることができた。
こうして食堂本店が軌道に乗ってきたころ、将功の長男、古謝将和が下里通りに古謝そば支店を開店した(昭和28年)。
当時の宮古には食堂もあまりなかったため、とてもにぎわっていた。
支店については、ジュークボックスをいち早く取り入れたことも人気のひみつだったようだ。
毎日7時半に店を開け、夜も遅くまで営業していた。
ずっと昔から伝わる
昭和7年創業です
昔ながらの宮古そばを、ありのままご提供します。
飾らない、変わらない、だからどこか懐かしい…
これからもずっと、古謝そば屋は

宮古島のソウルフード
宮古そば
地元の人に愛され続け、島を離れても無性に食べたくなるのがふるさとの味、宮古そば。
宮古島旅行から戻り、島の風景と共に不思議と思い出すのが古謝そば屋のソーキそば。

観光の
お客様にも好評
これまでのソバ屋の常識をくつがえす、お洒落で落ち着けるフローリングを施したお洒落なカフェのような店内。
ご家族やご年配の方もゆったりくつろげるようお座敷もご用意。庭に植えられた沢山のバナナの木が疲れを癒してくれます。